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玉田日記

坂の上の雲 1 2 3のはじめ

やっと繁忙期というDTPでの荒波を乗り切った訳ですが、今度はまたまたWEBの方の仕事がゴソッとつまってきました

息をもつかせぬ仕事の波ではございますが、仕事があることは大変ありがたいことであります。お客様方には感謝の気持ちしかありません。ありがたいことです。

それと同じくして、仲間たちがドンドン技術を吸収し成長していく姿を見ていると、とても先々が楽しみであります。
会社の仕組み、システムを確立し共有していけばきっと皆(お客様、社員さん)で「よろこぶ」ことができると信じています。

さて、表題の件でございますが。これは司馬遼太郎著の作品でございます。(今まで読んだ司馬遼太郎作品、竜馬がゆく、峠)
日露戦争についての賛否両論が分かれている作品と聞きます。
今から、その本題(日露戦争)に突入するわけで、現状の私に賛も否もありません。
表題の通り、1、2、3のはじめまでしかきておりませんので、正岡子規逝去の場面までしか読んでおりません。

内容は、日露戦争で活躍した秋山兄弟(好古、実之)と俳句・短歌の改革運動をおこした正岡子規との幼少から青年時代(日露戦争直前)までを描いた作品です。
正岡子規の死は壮絶でしたね。彼の印象は教科書の中だけで後頭部のデカイヤツだなぐらいしか思ってなかったが、この運動の成果が現在まで息づいていることを考えれば彼の功績はスゴイですね。とにかく自分の考え方を突き詰め、それ(俳句・短歌)を調べ上げたことがスゴイな。

こんなのとかも存在しなかったかもね。
お~いお茶新俳句大賞

結核を患い、日清戦争の従軍記者を志願し、脊椎カリエス(カリエスとは虫歯と同じらしいです。穴があくと表現しておりました。)を併発し、床ずれ等、末期の3年くらいは歩くこともできなかったそうです。それを看病したのは、母:八重、妹:お律、後輩:高浜虚子です。(夏目漱石はお友達)
代表句:柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
写生派:理屈なしで見た目を表現する (私の解釈では 柿=秋、鐘=夕方、法隆寺=奈良ということになるでしょうか。)

逝去する前の出来事日清戦争ですが、まだ現在の形ができる前、清の時代(辮髪=ラーメンマンの頭です。)の中国とつい25年くらい前までは、チョンマゲに刀さしてた日本人が対決するという図式です。開戦理由は韓国の中立を保ち列強(この時は特にロシア)からの侵略を防ぎたいという一心からおきた戦争です。(近代の戦争とは趣がちょっと違います)
この時代の世界常識は大国「眠れる虎=清」に小国日本が敵うはずがないという見方が多勢だったそうです。(日本国内でも同様)
結果は日本の連戦連勝といった具合でした。これは日本が強かったわけではなく、末期国家(現体制に嫌気がさしている中国)と新興国家(早く回りに追いつきたい意欲あふれる日本)の気の持ち方の違いだったと回想しております。実際そうだったのでしょう。戦力は確実に清国の方があったのですから…。

とりあえず物語はここまでにして、今まで読んだ中で印象的だったのは「原理原則」を突き詰めるということです。
どれだけ本質を突き止めることができるかという考え方です。
簡単に言うと「雨が降れば傘をさす」ということです。商売もそれで成り立っております。

題名:坂の上の雲
封建の世から目覚めたばかりの幼い日本国家が、そこを登り詰めてさえ行けば、やがては手が届くと思い焦がれた欧米的近代国家というものを、「坂の上にたなびく一筋の雲」に例えた切なさと憧憬をこめた題名(Wikipediaより)。

坂の上の雲 人物伝

スペシャルドラマ 坂の上の雲

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